アラフィフからの生き方スキル

アラフィフに入り、まだまだ長生きしたい気持ちでいます。アクティブ長生きライフを研究しつつ発信します。

母の一人暮らしは孤独感いっぱい?と思ったらそうでもないらしい。

父が亡くなってから数か月後、
ケアマネジャーさんが手配してくれたデイサービスに母は通うことになりました。

ここに決める前に、ひとつ行ってみたのですが、しっくりこなかったようです。

父の時に経験したので、無理をさせずに、合う場所がさがすまで根気強く、、と構えていたので焦りはありませんでした。

デイサービスのイメージは、体操やリハビリやちょっとした行事の開催、くらいしか思いつきませんが、
母は身体的には問題ないのでリハビリ中心のところは物足りないのではと思っていました。

母は、足腰が強く、歩く姿だけを見ると60代くらいに見えます。毎日の犬との散歩で鍛えられているようです。

ただおしゃべり出来たり交流できたりする場所がほしい、というのが望みでした。

認知症があるものの、人と話すことは問題ない程度です。(本人は、年のせいだと思ってますが、認知症治療を受けてます)

そんな母に合うデイサービスってあるのかなあと思ったら、ケアマネジャーさんが見つけてきてくれたところが

おしゃべりができ、マッサージとかしてくれ、たまにスタッフさんが作ったお料理を持たせてくれる、というアットホームなデイサービスを見つけてくれました。

母はけっこう気に入り、今は週3日通っています。車での送迎ありです。

しっくりくる場所が見つかってよかった。

しばらくすると、デイサービス以外の日にはお掃除やお薬のチェックをしてくれるヘルパーさんを手配することもでき、毎日だれかしらと会うようになりました。

父が亡くなった当初、とても落ち込んで母がひとりで過ごすのはどうなのだろうと心配でしたが、案外大丈夫でした。電話すると、「大丈夫よ、来なくても~」と言われます。
子供に心配させまいと気遣っているのかもしれませんが、そういう気遣いができるというのは弱っていない証拠だと思います。

ただ、時々電話にでなかったり、デイサービス忘れて犬の散歩いって捜索されるなどありますが。。
そのたびにケアマネジャーさんと相談して対策を練ります。

家族だけでは守る限界があるので、本当にケアマネジャーさんの存在がありがたいです。

「マイ・インターン」2度目に観て気づいたこと

何度みてもハッピーでほっこりな気分になる映画です。

マイ・インターン
ロバート・デニーロアン・ハサウェイが主演のコメディです。涙と感動の話でもあります。
wwws.warnerbros.co.jp


私がこの映画で一番感じた素晴らしい点は、年齢を重ねることは経験が豊富になっていくこと、老いていくのもいいもんだ、ということです。

数年前にこの映画を観たときにはそのような視点で観ていなくて、とりあえずハッピーエンドになる映画だな、というところで終わっていました。「プラダを着た悪魔」のノリ的な感じで観ていました。

ところが久しぶりにまたこの「マイ・インターン」を観たときに、ロバート・デニーロ演じるベンの行動や発言、思考がとても胸に刺さり深く感動したのです。
私はもう若くはなく、会社でバリバリ働くこともできないアラフィフ。←すみません、アラフィフでももちろんバリバリ働いている方はたくさんいらっしゃるのわかってます。私の場合は家庭を優先することを選んだくせにまだバリバリ働きたいと思ってる中途半端アラフィフです。

細々と働いているけどまだまだ社会とつながって貢献もしていきたい。スピード感や情報の速さは若い人にはもうかなわないけど、何か自分が役に立てることがあるはず。

ベンは勤勉で優しくて、人を温かい気持ちにさせてくれ、ストーリーの終盤では素晴らしい先輩社員として職場でとても信頼されています。

私も見習い、少しでもベンのマインドが持てるようになっていきたいです。

私の経験を役立ててもらえるように今後アウトプットしていきます。

お墓はどうする

次に問題があったのがお墓です。

これも、両親はかなり前からお墓を決めていました。

いまはかなり浸透しているロッカー式納骨堂です。

両親はこの納骨堂に決めるまでに、お墓をどうするか相当迷っていました。父の家族が眠っている千葉にある立派な墓には長男しか入れないといわれていたので。

ところが、ある時、母の両親が眠っている都内の歴史あるお寺さんがロッカー式納骨堂を作ったとのことで、父も賛成してお墓が決まりました。

このお寺さんは駅から近いし近くに素晴らしい庭園があるし、お墓詣りにも穏やかな気持ちでいくことができる場所です。しかも、綺麗。

ちなみに、そのロッカー式納骨堂はかれこれ10年近く前に買ったのでひたすら管理費を払い続けていました。

お墓は決まっているから安心、と思っていたら、父のきょうだい側が千葉のお墓に入る分骨を提案してきました。父は両親をそれはそれは大事に思っていたので、そうであれば分骨を、と同意し、火葬の直前ではあったものの分骨をしてもらうことにしました。

ただ、父のきょうだいは長男と亀裂がありコミュニケーションをとっていません。長男しか入れないと聞いていたお墓に入っていいのかとも思いなが長男である父の兄に分骨したいと伝えたところ「自分の許可がないとだめだ」と突っぱねられました。

私たちは困ってしまい、四十九日が終わるまでしばらく様子を見ることにしました。
しかし父の兄は受け入れず、これ以上ややこしいことになりたくないので、母が最終的に「分骨はしない」と決めました。

お墓問題までもこじれるとは思いもしませんでしたが、分骨はしないでよかったと思います。

年老いた母が都内と千葉両方のお墓にお参りにいくのも大変です。

父は、「オレはどっちでもいいよ」というと思います。
都内のお墓は父が育った地域に近く、なんとなく下町情緒があり父が好きな地域です。

私たち家族のお墓問題は案外すぐに解決しましたが、泥沼になるケースもあると思います。

けど、やはり、できるならばお墓も事前に決めておくのがいいと思いました。

お墓にどのくらいお金を払えるのか
お墓のメンテナンスをする家族の事情、
などがかかってくるからです。

いまはロッカー式納骨堂もかなり増えてきました。選択肢が増えたのはよいと思います。

墓への思いは世界共通だなあと感じた映画があります。

映画「マイ・インターン」を観たことありますか。

主人公の女性ジュールズ(アン・ハサウェイ)がもし夫と離婚したら自分はひとりになる、お墓に一緒に入ってくれる人がいない、共同墓地に入るしかない、、と泣いてました。それをインターンで70歳になるベンが「自分と妻の隣にスペースはあるからその問題は気にしなくていいよ」みたいな返しをします。それを聞いたジュールズは感激してさらに泣く。。。

墓問題、じつは大きな気がかりですね。。

さて、私たち夫婦は主人の代々の家族のお墓に入ります。とりあえずは安堵です。

葬儀・お墓問題

親が亡くなるとまず必ず直面することが
・葬儀
・お墓
・相続
と思います。

まず葬儀。
両親は葬儀の場所を決めていて、費用についても積み立てをしてきていました。満額積み立てができていたので費用については心配不要と信じていました。

ところが、いざ葬儀屋と話を進めると、積み立てをしてきていたのは最低限の費用。
祭壇を少しでもよいものに、と思うと積み立て費用ではとてもまかなえませんでした。お寺さんへのお布施もあります。香典をいただきますが、香典返しもありますので、結局費用は膨らみます。
私たちが憤ったのは大きな金額を提示されて、そこから値引いていく仕組みです。私たちもこれ以上は出せない、という金額まで提示して合意はできましたが葬儀の相場など事前に知っておけば、、と思い悔しいことが多々ありました。
父の葬儀は立派にしてあげたいと、あとにひけなくなったこともあり、結果的に母の分の積み立ても使い、持ち出しもありましたが、葬儀自体はよい式でした。内容に関しては満足しています。ありがたかったのが動画を撮ってくれるサービスがついてたことです。

母は、「私のときは最低限でいいよ」と。

自分たちが納得した葬儀をおこなってもらう、というのが大事なポイントだと思い知りました。
いざその立場にならないとわからないことが多いです。

難しいことではありますが、できることはやはり
・事前に葬儀費用積み立て
家族葬か一般葬か
くらいは事前に話合いや準備しておくことをお勧めします。

お墓問題については次の記事にて

父の死、母の一人暮らし、この1年

このブログを前回書いてから1年過ぎていました。
この1年に多くの出来事がありました。
まずは3月からパートタイムの仕事を始めたこと。
自分が向いている仕事が会計ではないかと思い始めてから比較的すぐに、昔の上司から知り合いの会計事務所で働かないかというお誘いを受けました。簿記資格もっていませんが働からうことになりました。コアタイムが比較的短いので家庭と育児とを両立できそうだと思い始めました。

仕事が始まると両親の対応ができないことが多くなってしまいましたがケアマネジャーさんとやりとりし、妹にも頼ってなんとかギリギリなかんじで過ごしていました。

4月のある日、父が食べ物をのどにつまらせ、息ができなくなり一瞬心臓が止まりました。妹が救急の方からの電話にこたえながら心臓マッサージをし、救急車に運ばれ入院。心臓がとまったのは確かですが、その後息を吹き返し、ICUで治療を受けました。ICUの先生いわく、「6分間心臓がとまったのに息を吹き返したのは奇跡です」とのこと。
ただ、その日から父は食べ物を口から入れて食することができなくなりました。つまり、胃ろうになります。
胃ろうは手術をともなうことと様々なリスクもあるので家族の同意が必要です。家族で話し合い、胃ろうを進めることに同意しました。

父は食べることが好きでした。思い返す父が食べ物をのどにつまらせる数日前、私たちも一緒に食事をしたのですが、肉をここ最近食べていなかった父が、すき焼きの肉をおいしそうに食べたのです。そしてビールまで飲もうとしました。当然、とめましたが。。
妹と、あれは最後の晩餐だったね、と言っています。
父の好きなすきやきを最後に食すことができてよかった。

父の胃ろう手術は無事におわりましたが、胃ろうとなるとケアが必要です。父のケアを高齢で認知力の衰えている母が対応するのは難しいので、胃ろう後の滞在を療養病院に入院することにしました。
救急病院のような設備はそろっていないのでいざ危険な状況にあっても延命措置はしないという同意の上の入院です。
透析もしてもらい胃ろうのケアもしてもらうためにはそれしか選択肢がありませんでした。
入院費用が心配でしたが、父の場合入院費はかからず、紙おむつやパジャマ代のみの負担ですむとのことでした。

入院後スムーズにいったわけではなく、足の指先が壊死しかけていることなどもあり検査でもといた病院に再び行くなどしましたが、この検査のときに久しぶりに母と父がゆっくり話ができたのはかえってよかったかもしれません。

父がかなり弱っているのは目に見えてわかっていたのでもうあまり長くはないだろうなと覚悟はしていましたが、その時は突然やってきました。

私が仕事中に病院から電話があり、息が苦しいようだとのこと、すぐにきてもらえるかといわれかけつけました。家族で一緒にきてほしいとのことだったので、病院がすぐ近い母のほうには私を待ってからいってほしいと伝えました。
ところが向う電車の中で再び病院から電話があり、「じつはもう危険な状態」ということを言われ、あわてて妹に電話し、先に母と病院に行ってほしいと伝えたのです。しかし結局タイミングは私がかけつける時間とそれほど変わらず、、病院についたときには父はすでに息をひきとっていました。

胃ろうをしてから1か月しかたっていませんでした。

父が亡くなって直後は葬儀でばたばたで、悲しみよりも忙しさに追われていました。父の亡くなる数か月前はずっと入院だったので、亡くなってからも父は入院しているような気がしてしまいます。

父が亡くなったのは7月8日、葬儀は11日、私の誕生日でした。

母は、葬儀が終わってしばらくは元気がなかったです。悲しみに暮れるというところまではいきませんでしたが、ほかにもショックがありました。
父を亡くすまえに、仲良くしていた義理の姉が突然亡くなったのです。立て続けに近しい人を亡くすという悲しいことがあったのですが私はなかなか寄り添うことはできませんでした。

会えば毎回父と義理姉のことを繰り返し繰り返し話して、私にはそれに対してなんとも答えることができませんでした。

私の代わりにケアマネジャーさんが親切にかかわってくださり、デイサービスやお掃除してもらうヘルパーさんの提案をしていただき、新しい生活パターンに徐々にシフトしていくことができました。
デイサービスは最初から合うところを見つけるのは難しいとも思いました。
母は幸い2つめのデイサービスが合ったので今も継続して週に3日行ってます。

妹は父が亡くなって3か月後くらいにイギリスへ戻りました。その後、母の一人暮らしが心配でしたが、アレクサでテレビ通話ができるので様子を見たり、時々実家にいき様子をみています。母は「大丈夫よ」と言ってますが、、最近は朝起きるのが遅くなって一日の過ごし方が規則正しくなっていないのが気になります。
幸い、犬が一緒にいるので犬のおかげで散歩いったり世話したりするので日々の暮らしがなんとかこなせているのではと思います。

母は身体は元気、けど認知症は徐々に進んでいます。
身体も頭も元気、となってほしいですが認知症はもう進一方で悲しいです。

両親の書類整理は長丁場を覚悟

以前から気になっていた、両親が自分たちで管理できなくなった書類の整理をしてきました。

両親(82歳と78歳)は、
・何でもとっておいてしまう。
・どこにしまったか忘れてしまう。
・元の場所に戻せない。
もうそんな状況です。。
記憶の上書きがほんの少ししかできません。そんな両親が管理をすること自体、無理ということが十分わかりました。

同居している妹がそこらじゅううにある書類を拾って集め、私が、内容を見て仕分けしました。

とりかかった結果、出てきたのは、
・昔の通帳約30冊
・使用不明のクレジットカード20枚強
・入った覚えがないという保険3つ
・引き落としされているが覚えがないという支払い関連1件

このままでは本当にまずい、、という状態を知ったとき、背中から汗が出っぱなしでした。焦りしかありませんでした。

結果、
・どの生命保険を残すか、解約するか、を確定。
・クレジットカードは2枚ほど残して他は解約。
・不明な支払先を確認。(すぐにわかり、必要な支払いとわかり安堵)

ここでわかったこともありました。
両親は自分たちのお葬式費用を積み立てていて無事積み終わったこともわかりました。両親は積立終了気づいておらずです。

さらには、スマホの解約&プラン変更も手続きします。
ほとんど使っていないのに月々支払っている料金が高かったのです。プラン設定が合っていないのだと思いました。

最初はなかなか進まなかった書類整理。どこから手を付けていいのかが、わからなかったからです。
でも何度もみて、仕分けして、2か月半ほどかけて支払い関連をなんとか把握、整理できたと思います。

私と妹がだいたい把握できたので、今度はそれをファイルに残す作業をします。

まだ何か出てくるものがあるかもしれませんが、今回の経験を生かして汗をかかないようにできるかな、と思います。

この作業を通じて発見したことがあります。じつは、自分が張り切って作業していたことです。書類の仕分け、判別、対応、などはけっこう苦なくできました。ひととおり片付いたときは、達成感がかなりありました。
これは意外な発見でした。

介護と見送りとお仕事と、、慣れないことの2か月間

2021年になりました。この2か月で色々ありましたので備忘録としてまとめました。

【親の介護】

私の両親は2人でなんとか生活していますが、透析に通っている父がこの夏に入退院を繰り返すようになってから、今まで気づかなかったことに直面しました。

父は9月に要介護1の判定を受けていましたがその書類を受け取ったことすらわからず、放置され私と妹が役所に確認して書類を再送してもらった結果、状況がわかりました。

父は夏に退院する時には自分の家がどこかもわからなくなっている状態。足も弱くなっていて、老人の病院生活はこんなにも衰えの影響が大きいのかと落胆してしまいました。

母も認知能力が衰えていて、だんだん二人での生活が心配になってきました。
ソーシャルワーカーさんがその心配を言ってくれなかったら離れて住んでいる私はまだのんびり構えていたかもしれません。

同時に、海外に住んでいる妹が一時帰国し両親の家に滞在。空港からハイヤーで帰宅、自宅での2週間滞在中、両親の老いた姿を目の当たりにしていたようです。

要介護が認定されたことでケアマネジャーさんに相談し始めましたが何もかもが初めてで慣れなくて、介護用具、デイサービス、透析の送り迎えを介護タクシー利用、等新しい生活が取り込まれました。

ただ、父はデイサービスでのリハビリはとても嫌がっています。言ったとしても「早く帰りたい」とあまり運動に参加できていないようでした。

なぜリハビリをしていく必要があるのかを理解できていません。

後で診断をうけてわかりましたが父はアルツハイマーです。母は認知症とまではいっていませんが生活が心配なレベルの忘れ事が多いです。
父を病院に連れていくね、といいながら連れていくのを忘れたり。。買い物で何が必要かわからなくなったり。

ケアマネジャーさんと日々相談しながらいい方法を探っていますが、親にとってしっくりくることがなかなか見つかりません。

親は自分たちで出来る、と思っています。でも私たちから見ると不安なことばかり。こういったことはお年寄りの介護をされている人たちにとってはよくあることなのだと思います。

【義父のこと】
そうこうしている間に、主人が一人で帰省しました。コロナの中、帰省は避けて、、という話ですが、住職の義父が介護施設にいるため息子である私の主人がお寺のメンテナンスをしているため、行く必要がありました。

いつも通りの帰省でお寺の掃除を済ませて主人が義父に電話で報告したすぐ後に、父が病院に運ばれて亡くなりました。

主人から電話をもらったとき、何が起きたのか一瞬わからず、、。私はその場にいなかったのでしばらく現実味がありませんでした。

年が明け、葬儀に参列するため私も主人の実家に。住職の葬儀ということでとてもとても立派な葬儀でした。

悲しいですが、救いは、主人が義父と最後に会えたことです。

義父は亡くなる2年ほど前から介護施設にお世話になっていました。コロナになる前には施設に会いにいきましたが穏やかに過ごしつつもお寺が気になっていたのを記憶しています。最後まで住職でいられてよかったと思います。

【仕事―チャレンジ中】
オフィス仕事を辞めてから、家事代行の仕事をトライしています。大掃除の時期だったので、依頼も多く、集中的にそれぞれのご家庭に行ってお掃除をさせていただきました。
慣れないことだらけで、「もっとお掃除してあげたかった」、「こうすればよかった」、という反省が毎回ありました。でも強く思ったのは自分の基準が甘かったことです。お掃除のレベルはその人さまざま。いろいろ気づかされました。

このお仕事で自分の中での変化は
・帰宅後でも、自宅を掃除したくなる自分
・どうすれば汚れが落ちるかを勉強している自分
・部屋のキレイは日々のメンテナンスからだと改めて気づく自分
・モノは多くなくてよい、洗剤も多くなくてよい、と減らせることを意識した自分

大掃除がおわった年明けでもご依頼が入ってきています。いま、手荒れで洗剤を使った手仕事が辛く、お仕事は控えめにしています。
まだ慣れないことが多いですが、どのようにすれば良い方向になるかをまだ模索していきます。